さくっと分かるニュースの見方

新聞などを読み比べてニュースのポイントを考えます

「どう稼ぐか」は変わる、変わらなければならない

 日本経済新聞(9月8日朝刊)によると、創立100年目の自動車メーカー「スズキ」が、成長の壁に直面している。

 スズキといえばインド。2020年3月期の世界販売台数の半分にあたる143万台を占める。これは、現在90歳になる鈴木修会長が、社長時代の1982年に進出し、低コストの小型車づくりで成長できたからだ。「アルト」は約42万円で、インドでは国民車として認知されている。ただ、インドは急速に豊かになっている。中間層が00年の約4パーセントから18年の約54パーセントになっている。自動車市場ではSUV(多目的スポーツ車)の人気が高まり、ここで韓国の現代自動車グループに押されているのだ。そこでスズキは、今度はパキスタンミャンマーへの進出を計画。しかし、安い小型車路線を続けるならば、早晩、インドと同じ課題に直面するだろう。

 続く9月9日朝刊。スズキは昨年、トヨタとの相互出資による提携を発表したが、トヨタからしてみれば、グループ傘下には軽自動車のライバルダイハツ工業も抱えている。スズキにどこまで経営資源を割くかは読み切れない。こうした危機の中で、俊宏社長への円滑なバトンタッチという事業承継の課題は残されたままだ、と記事は指摘する。

 企業経営は変化の連続だ。儲かるモデルが見つかったとしても、いずれは古くなる。そこにこだわると、次に失敗する。成功体験は失敗を準備するのだ。ならば、次々と先を見続けるしかない。例えば、稼ぎ頭は10年でがらりと変わることもある。、イオンは小売りから総合金融へ、サッポロホールディングス酒類から不動産へといった具合に(同9月9日朝刊)。苦境のアパレル業界、なかでもスーツ業界では、AOKIホールディングスがスーツ依存の経営からの脱却を急ぎ、ネットカフェやカラオケ店などの娯楽業の店を増やしている。娯楽系は、店舗の運営人員が少なくてすむなど、事業コストが低く、利益率が相対的に高い。同じくはるやまHDも、スーツ店内に理容店やクリーニング店、マッサージ店などを取り入れるステーションを増やすという。青山商事も同様のようだ(同9月9日朝刊)。記事では異業種に活路を見いだす戦略が奏功するかは「依然として見通しにくい」とあるが、やるしかないのだ。

「8月ジャーナリズム」を考えてみる

 毎年、日本では8月になると、「あの戦争」を振り返る特集記事・番組が報道の世界を覆うことになっている。「記憶の継承」というやつだ。だが、しかし、どうもマンネリで、身に染みてこない。

 むしろ「あの戦争は何だったか」を問うのではなく、「いかにしてあの戦争を語るか」を語るべきではないか?と思っているところで、読売新聞(8月24日朝刊)が「戦争体験の戦後史」をたどる記事を掲載している。それによると、元将官や元参謀の振り返り→戦死者の顕彰(「反戦一辺倒」の修正)→敗因や組織論追究…などと戦争語りのモードは変化してきた。90年代以降は、戦争経験者の証言を記録する試みが盛んになった。そしていま、「単に記録する段階から、事実を検証、評価する「歴史化」が必要な時期」にきているという。

 専門誌「ジャーナリズム」(8月号)は、「8月ジャーナリズム」を特集している。福間良明立命大教授は、記憶の継承が叫ばれるが、むしろ「忘却」「断絶」が進行していないか、と警鐘を鳴らす。例えば広島原爆は、体験者にとっては、二度と思い出したくないものかもしれない。靖国神社に祀られることを快く思わない英霊もいるかもしれいない。

 「いま受け継がれている「記憶」は、どこかしら心地よく、美しく、あるいはわかりやすくされている一方、そこで何が覆い隠されているか想像すらされないのではないか」「心地よい「保存」がいかに当事者の情念を覆い隠してしまうのか」「現代のわれわれが直視すべきは「継承」ではなく「断絶ではないだろうか」

 同じくノンフィクションライターの石戸諭氏は、8月ジャーナリズムは「どこかで読んだ話」になりがちで、多少つまらなくても「大切なこと」だからと肯定されている、というマスコミの雰囲気を指摘する。しかし、情報があふれるネット時代にあって、マンネリ・思考停止は読者に届かない。そうではなく、新しい何かを提示しないといけない。その点で、小林よしのり氏や百田尚樹氏といった「平成右派運動」が洗練されていた(参考「ルポ百田尚樹現象」)。

 こうなると、「戦争の語りについての語り」は、ネット時代のジャーナリズム論と接続する。つまり、「事実」を掘り起こすのも大事かもしれないけれども、現代においては「視点」をバージョンアップさせ、「盲点」に目を向けることも重要なのではないか。ジャーナリズムそのものの力点も、変わっていくべき時なのではないか、というと言い過ぎだろうか。

 中央公論(9月号)は、「昭和の戦争・軍事史」必読10冊(筒井清忠氏)を紹介しているが、こういった特集がありがたい。中でも「官僚制としての日本陸軍」「昭和ナショナリズムの諸相」「堀悌吉」あたりが気になった。時代は「知る」から「学ぶ」になった、といえようか。

安倍長期政権の採点

 安倍首相の連続在職日数が8月24日に2799日となり、佐藤栄作元首相の記録を抜いて歴代最長となった。安倍長期政権は何をもたらしたのか。各紙がフォーカスしているが、辛い採点が目立つ。

 政権寄りともいわれる読売新聞(8月24日朝刊)は、安倍首相の掲げた「3本の矢」は「成果は限定的」と断じている。

 金融緩和、財政出動、成長戦略という3本の矢で、経済が上向いたことは上向いた。しかし、その恩恵が中流層以下へと波及したかというと、限定的だった。また。3本の矢で最も重要だった成長戦略は不十分との見方が定着しているという。確かに、既得権益打破というほどの改革は聞こえてこなかった。小泉元首相と比較すると、いまひとつ目立つ「改革感」に乏しい。

 日経(8月23日朝刊)も同様に「アベノミクスの成長戦略は見えにくい」と厳しい採点だ。安倍首相は「地方創生、一億総活躍、全世代型社会保障など毎年のように看板政策を掲げて政策のウイングを広げた」ことで、野党が掲げる政策に抱きついて違いを見せにくくした面もある、と指摘する。

 一方で、レガシー(政治的遺産)となると乏しい。拉致問題やロシアとの北方領土交渉では前進がない。では、安倍長期政権は何だったのか。

 日経、朝日にコメントしている御厨貴氏が実に的確だ。

 日経では、「これまでうまくいった秘訣は、次々に看板を替えて「やっている感」を出したことだ。しかし新型コロナウイルスの感染拡大が起こり、「やっている感」政治が止まってしまった。一気に弱点が露呈した」という。また、「政権が成し遂げた最大の成果は衆院選参院選で一度も負けなかったことだ。勝って野党と報道機関を黙らせてきた」と。確かに、選挙での強さこそが、安倍長期政権の最大の特徴だ。

 興味深いのが2014年10月、「政治とカネ」と問題で2閣僚が辞任し、政権が揺らいだかに見えた時期。ここで首相は野党が選挙準備を整える前に解散に踏み切り、難局を「リセット」することに成功した(朝日新聞8月24日朝刊)。

 選挙で勝つことで、さまざまな問題、スキャンダルを「チャラ」にしてきたのが安倍政権だ。一方で、佐藤栄作沖縄返還ほどのレガシーはない。憲法改正も進まない。結局は、「個々の中身よりは、続いたってことにレガシーがある」と、同日付朝日で御厨氏は、なんともいえない結論を導き出している。

コロナショック~政治へのインパクト

 新型コロナウイルスの感染拡大は、世界規模で政治思潮の変動をもたらすだろう。具体的には、「小さな政府」から「大きな政府」へ、ということになろうか。

 朝日新聞(8月22日付朝刊)の連載「コロナショック 変容する経済5」は、財政政策と金融政策の「一体化」が進んでいる状況を取り上げている。日本銀行と一体となり、政府は空前絶後の経済対策を実施。国の借金である国債残高は、今年度末で964兆円の見込み。先進国の中で最悪の財政状況がさらに悪化しているという。これはまさに、経済活動における「国家」の比重が急激に大きくなっているということだ。

 これは日本に限らない。主要国も一斉に異例の財政出動に踏み切っている。「日本化」が世界中で進んでいるのだ。ただこれはもちろん、持続可能なやり方ではない。いかにして民間主導の成長軌道に戻すか、中長期的な戦略が必要になってくる。

 京都大教授の中西寛氏は、小さな政府から大きな政府へという、公共の役割が必要とされる流れは、世界中で変わらないだろうとし、「国民の安全に対する政府の役割を再定義する時に来ている」という。さらに、成長重視による格差、分裂は望ましくなく、「中産階級を支えるような政策」への転換が求められる、と。まったく同感だ。

 では、安倍政権はどうか。日経(8月21日付)で、東京大教授の谷口将紀氏がまとめている。まず、危機時に政権支持率が高まるという「旗下結集効果」は、日本では起きなかった。それどころか、検察庁法改正案への批判もあって、最低水準まで低下した。これはなぜか。官邸主導の「誤用」に基づく不出来ではないか、というのだ。

 氏は3点を指摘している。第1に、自然災害のノウハウは蓄積されていたのに、感染症対策への備えは不十分だった。第2に、政治決断にはやるあまり、専門的知見やエビデンス(証拠)に基づく政策決定を軽視するきらいがある。特に有識者との役割分担に丁寧さを欠く。「有識者に耳を傾けた体裁さえ整えればよいという、長期政権で知らず知らずのうちに高まったおごりが、政治判断という名分で科学的根拠のない全国一斉急行に踏み切らせたうらみはないか」。第3に、アベノミクスを貫徹させられなかったツケ。安倍長期政権は、経済政策への期待により得た「政治的貯金」を、特定秘密保護法などのイデオロギーの強い施策に費消してきたが、肝心の成長軌道に乗せる社会経済構造改革は、十分な成果を得られていない。結局安倍政権は何だったのか。

 ただ、同氏は「まだ挽回の余地はある」ともいう。「何よりもポスト・コロナの社会経済ビジョンを人々と共有することだ。アイデアは市井にほぼ出尽くしており、後は実行に向けて道筋を付ける。これこそ長期政権の掉尾(とうび)を飾るにふさわしいレガシー(政治的遺産)である」と。さて、衆院解散はあるのか。

 

 

 

 

 

 

米大統領選の行方

 米民主党大会で、ジョー・バイデン前副大統領が大統領候補に正式指名された。どのような人物なのか。新聞各紙から、探ってみた。

 日本経済新聞(8月20日)によると、波乱の人生を歩んでいるようだ。まず、計44年の国勢経験を持つ党の重鎮。勝てば米国史上最高齢の大統領となる。

 東部ペンシルバニア州の地方都市スクラントンが生まれ故郷。父親は中古車のセールスマンなどを点々として生計を立てた。大学を出て弁護士になり、地元政治にかかわるように。30歳で連邦議会上院議員になり、主要ポストを歴任。2009年からはオバマ大統領に8年間仕えた。これだけみると順風満帆にみえるが、そうではない。大統領選には2度挑戦したがいずれも途中で脱落。私生活では、交通事故で妻と1歳の娘を亡くしている。長男は脳腫瘍で46歳で死んだ。一方で、失言癖もあるという。トランプ氏打倒の万全の候補というわけでもなさそうだ。

 読売新聞(同日)によると、党内の支持を得るため、最低賃金の引上げなど、急進左派に配慮した政策を随所に盛り込んでいるという。ただ、譲らなかったのが国民皆保険。左派に寄りすぎれば、「バイデン陣営は極左に乗っ取られた」とトランプ氏に攻撃材料を与え、中道票を失いかねないからだ。

 では、そのほかの政策はどうか。朝日新聞(同日)によれば、外交では、孤立が際立つトランプ氏とは対照的に、国際協力、国際協調が主力モードになりそうだ。具体的には、世界保健機構(WHO)、地球温暖化対策のパリ協定、イラン核合意などの復帰だ。一方で、対中国政策は大きく変わらない。ただ、トランプ氏と違って、中国国内の人権問題には関心が高いようだ。経済政策では、自由貿易重視への復帰というわけでもなさそう。

 独断型のトランプ氏と調整型のバイデン氏。これからの論争で、よりその違いが際立っていくことだろう。最新の世論調査ではバイデン氏が優勢というが、その差は縮まってきている(日経8月21日)。隠れトランプ支持者も多くいるとみられ、どうなるかは全くわからない。

コロナ後の世界~政治、経済と社会

「今年の世界の公的債務は第2次世界大戦時を抜いて過去最大になる」

 そんな書き出しで驚かせるのは、日経(8月3日)のオピニオン「核心」である。論説委員長の藤井彰夫氏は、世界は未曽有の「大借金時代」に入ったと指摘する。そして、これは巨大な借り手となった国家の信用をめぐる競争の時代でもある、と。

 では「借金先進国」である日本はどうなるのか。「愛があるうちは大丈夫」。これはつまり、将来は増税などで借金を返せるという、国民から政府への信頼感あって成り立つ、という意味だ。それが崩れたとき、国民は政府を見放し、急激な資本流出による円安、ハイパー・インフレ、金利上昇が起き、財政は破綻する。こうした「危機シナリオ」は、杞憂にすぎないのか。

 コロナ対策による歳出の急拡大で、「ワニの口」といわれる日本政府の歳出・税収のグラフは上アゴが外れたような形になってしまった。「もっと借りても大丈夫」などと、際限なく借金を重ねていくのか。いまが実にきわどいがけっぷちなのかもしれない。

 大阪大名誉教授の猪木武徳氏は、民主主義社会の根幹にかかわる、と警鐘を鳴らす(日経8月5日)。ここ四半世紀の技術革新は、「人と人との直接の接触を減らす方向への変化であった」とし、今回のパンデミックがその傾向をさらに強める、と指摘。これでは、相互理解の努力をしつつ連携する精神が弱まるのではないか。そう、肝心なのは「公共意識」である。社会的距離を取るという、新様式のマナーは「人々の匿名性が高まり公共精神をはぐくむ力は弱くなるであろう」。それはゆくゆくは「健全なデモクラシーの屋台骨を切り崩しかねない」。

 朝日新聞(8月4日)に面白い寄稿があった。音楽学者の岡田暁生氏である。距離をとることが世界的に求められるいま、ベートーベンの第九は最も上演が難しい音楽になってしまった、というのだ。おりしも今年はベートーベン生誕250年という記念の年。

 「ベートーベンは今、250年の時を経て私たちに問う。これまで「第九」で歌い上げてきた理想社会を、君たちは嘘だったと言い切るのか。それとも君たちは、この「第九」の理念を真に自分たちのものにするため、再び本気で立ち上がるつもりなのか、と。

 猪木氏も言っているように、むしろのこの災禍を奇貨として、流れに抗しつつ、将来への善き転換へのヒントを自律的に探りたい―。このスタンスが必要ではないか。かつて、社会心理学者の加藤諦三氏が指摘していた(朝日3月19日)。

 「コロナウイルスが流行するこの時代に生きていることは、「不幸」です(中略)こんな不幸はないにこしたことはない。でも、生きていると必ず起こりうるものです。つまり、不可避的な不運を拒否するのは、人間の可能性と人生の意味を受け入れていないことに等しいのです(中略)受け入れて初めて、自分の人生のために、次に何をすればいいかが具体的に見えてきます」

分断社会とテクノロジー

アメリカの政党支持といえば、スタバで高級紙を読みながらコーヒーを飲むのが民主党、バーでアメフト観戦しながらビールを飲むのが共和党といったように、生活カルチャーと固く結びついている、と何かの新書で読んだことがある。

 しかし、現代アメリカの「分断」はそれどころではないらしい。日経(7月28日)の連載「分断の米国 デジタルの魔力」によると、トランプ支持者は新しいSNS「パーラー」に乗り換えているという。ツイッターなどでは検閲されてしまう情報を共有できるためだ。

 どんな情報が検閲の対象となるのか。すごいのが、「Qアノン」だ。トランプ氏を熱狂的に支持する「Q」を名乗る人物と、その信奉者を指す。「クリントン元大統領夫妻らが人身売買に関与した」といったデマを拡散する、まさに確信犯のような輩だ。

 人々を結ぶはずのSNSが、逆に分断へのアクセルとなってしまう。デジタル社会は大きく方向転換しているようだ。さらに新しい動きがある。腕時計端末で心拍数を測定し、感情との連動性が高い「オキシトシン」というホルモンの分泌を解析、映画やテレビ制作会社向けに視聴者の反応を測る技術を提供するというスタートアップ企業がある。それが政治勢力と結託したら…。選挙演説に応用すれば、人々の「無意識」に働きかけて支持を獲得できるかもしれない。つまり、デジタル技術で巧妙に人々を操作し、特定の政党支持へと誘導するテクノロジーだ。

 デジタル技術と選挙。テクノロジー企業における「技術の担い手の責任は重い」と連載は結ぶが、これで思い出すのが伊藤計劃氏のデビュー作「虐殺器官」であろう。

 人々が戦いあうように仕向ける虐殺文法を駆使して(無意識の)虐殺器官に働きかけ、内戦を引き起こす。そんな作品だったように記憶する。荒唐無稽とは思えない、妙なリアリティーのある、どこか背筋の寒くなるSFだった。その世界観が、いまや現実になろうとしているのだ。