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コロナショック~政治へのインパクト

 新型コロナウイルスの感染拡大は、世界規模で政治思潮の変動をもたらすだろう。具体的には、「小さな政府」から「大きな政府」へ、ということになろうか。

 朝日新聞(8月22日付朝刊)の連載「コロナショック 変容する経済5」は、財政政策と金融政策の「一体化」が進んでいる状況を取り上げている。日本銀行と一体となり、政府は空前絶後の経済対策を実施。国の借金である国債残高は、今年度末で964兆円の見込み。先進国の中で最悪の財政状況がさらに悪化しているという。これはまさに、経済活動における「国家」の比重が急激に大きくなっているということだ。

 これは日本に限らない。主要国も一斉に異例の財政出動に踏み切っている。「日本化」が世界中で進んでいるのだ。ただこれはもちろん、持続可能なやり方ではない。いかにして民間主導の成長軌道に戻すか、中長期的な戦略が必要になってくる。

 京都大教授の中西寛氏は、小さな政府から大きな政府へという、公共の役割が必要とされる流れは、世界中で変わらないだろうとし、「国民の安全に対する政府の役割を再定義する時に来ている」という。さらに、成長重視による格差、分裂は望ましくなく、「中産階級を支えるような政策」への転換が求められる、と。まったく同感だ。

 では、安倍政権はどうか。日経(8月21日付)で、東京大教授の谷口将紀氏がまとめている。まず、危機時に政権支持率が高まるという「旗下結集効果」は、日本では起きなかった。それどころか、検察庁法改正案への批判もあって、最低水準まで低下した。これはなぜか。官邸主導の「誤用」に基づく不出来ではないか、というのだ。

 氏は3点を指摘している。第1に、自然災害のノウハウは蓄積されていたのに、感染症対策への備えは不十分だった。第2に、政治決断にはやるあまり、専門的知見やエビデンス(証拠)に基づく政策決定を軽視するきらいがある。特に有識者との役割分担に丁寧さを欠く。「有識者に耳を傾けた体裁さえ整えればよいという、長期政権で知らず知らずのうちに高まったおごりが、政治判断という名分で科学的根拠のない全国一斉急行に踏み切らせたうらみはないか」。第3に、アベノミクスを貫徹させられなかったツケ。安倍長期政権は、経済政策への期待により得た「政治的貯金」を、特定秘密保護法などのイデオロギーの強い施策に費消してきたが、肝心の成長軌道に乗せる社会経済構造改革は、十分な成果を得られていない。結局安倍政権は何だったのか。

 ただ、同氏は「まだ挽回の余地はある」ともいう。「何よりもポスト・コロナの社会経済ビジョンを人々と共有することだ。アイデアは市井にほぼ出尽くしており、後は実行に向けて道筋を付ける。これこそ長期政権の掉尾(とうび)を飾るにふさわしいレガシー(政治的遺産)である」と。さて、衆院解散はあるのか。