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「8月ジャーナリズム」を考えてみる

 毎年、日本では8月になると、「あの戦争」を振り返る特集記事・番組が報道の世界を覆うことになっている。「記憶の継承」というやつだ。だが、しかし、どうもマンネリで、身に染みてこない。

 むしろ「あの戦争は何だったか」を問うのではなく、「いかにしてあの戦争を語るか」を語るべきではないか?と思っているところで、読売新聞(8月24日朝刊)が「戦争体験の戦後史」をたどる記事を掲載している。それによると、元将官や元参謀の振り返り→戦死者の顕彰(「反戦一辺倒」の修正)→敗因や組織論追究…などと戦争語りのモードは変化してきた。90年代以降は、戦争経験者の証言を記録する試みが盛んになった。そしていま、「単に記録する段階から、事実を検証、評価する「歴史化」が必要な時期」にきているという。

 専門誌「ジャーナリズム」(8月号)は、「8月ジャーナリズム」を特集している。福間良明立命大教授は、記憶の継承が叫ばれるが、むしろ「忘却」「断絶」が進行していないか、と警鐘を鳴らす。例えば広島原爆は、体験者にとっては、二度と思い出したくないものかもしれない。靖国神社に祀られることを快く思わない英霊もいるかもしれいない。

 「いま受け継がれている「記憶」は、どこかしら心地よく、美しく、あるいはわかりやすくされている一方、そこで何が覆い隠されているか想像すらされないのではないか」「心地よい「保存」がいかに当事者の情念を覆い隠してしまうのか」「現代のわれわれが直視すべきは「継承」ではなく「断絶ではないだろうか」

 同じくノンフィクションライターの石戸諭氏は、8月ジャーナリズムは「どこかで読んだ話」になりがちで、多少つまらなくても「大切なこと」だからと肯定されている、というマスコミの雰囲気を指摘する。しかし、情報があふれるネット時代にあって、マンネリ・思考停止は読者に届かない。そうではなく、新しい何かを提示しないといけない。その点で、小林よしのり氏や百田尚樹氏といった「平成右派運動」が洗練されていた(参考「ルポ百田尚樹現象」)。

 こうなると、「戦争の語りについての語り」は、ネット時代のジャーナリズム論と接続する。つまり、「事実」を掘り起こすのも大事かもしれないけれども、現代においては「視点」をバージョンアップさせ、「盲点」に目を向けることも重要なのではないか。ジャーナリズムそのものの力点も、変わっていくべき時なのではないか、というと言い過ぎだろうか。

 中央公論(9月号)は、「昭和の戦争・軍事史」必読10冊(筒井清忠氏)を紹介しているが、こういった特集がありがたい。中でも「官僚制としての日本陸軍」「昭和ナショナリズムの諸相」「堀悌吉」あたりが気になった。時代は「知る」から「学ぶ」になった、といえようか。